オンライン・ロシア美術史講義「移動派」

JUGEMテーマ:アート・デザイン

150620-4

The Vladimirka, Isaac Levitan, 1892

イギリス(主にイングランド)では16日(月)から、一般店舗が開き始めた。人と2メートル間をとるルールはまだ生きているはずだけど、場所によっては全然守られない混雑もあったよう。必要なものはすべて手に入っているので、ショッピングモールには当分出かけないかな。

案の定、「ポートレート」の後半をまだ書いていませんが、先に「移動派」を。ケンブリッジのロシア語コミュニティの会が主催するZoom美術史講義、講師は引き続きニッキー先生です。

移動派とは、ロシア・リアリズム美術の画家集団、1870年から1923年まで活動した。

まず時代背景から。ニコライ1世(1796 - 1855)がクリミア戦争を起こして敗退、死去(インフルエンザだそう)し、跡を継いで皇帝になったのがアレクサンドル2世(1818 - 1881)。彼は進歩派で、農奴解放などロシアの大改革を行った。でも最期は暗殺されてしまう。サンクトペテルブルク市内で死去。

移動派は社会が大きく変化する中で生まれた。

先人が西欧に追いつこうと創立した官立美術アカデミーも、時代と共に保守的になり、国内美術市場を独占するようになる。そうするとこれに反発する画家も出て来るわけで、活きの良い若い画家が集まって、最初の展覧会をペテルブルク(実は会場はアカデミーを借りた)開いたのが1871年。その後モスクワ、キエフ、ハリコフなと各地で展覧会を開いた。展覧会の場所を移動したから「移動派」で、決して画家たちが落着きなかったからではありません。

ただしその前に、少しずつ、新鮮な視点で描かれた作品も出てきていた。

150620-1

The fresh cavalier, Pavel Fedotov, 1846

パーヴェル・フェドートフ(Федотов, Павел Андреевич、1815 - 1852)は、実際にいそうな人々の生活を活写。イギリスのホガースを思わせる。この絵の人は、小っちゃい勲章をもらって得意になりすぎ、その後人生転落するんだそう。

移動派の一員となったヴァシーリー・ペローフ(Перов, Василий Григорьевич、1833 - 1882)がある村の復活祭の様子を描いた作品。

150620-2

Easter Procession in a Village, Vasily Perov, 1861

手前に酔いつぶれて寝ちゃってるおっちゃんがいたり、イコンを逆さまに持っている人がいたりで、ロシア正教会が「不謹慎」と激おこ、だったそうです。リアリズムだよね…。

すでに何度も出していると思うけど、やはりレーピンの「ヴォルガの船曳き」(Бурлаки на Волге)は外せない。

150620-3

Volga Boatmen, Ilia Efimovich Repin, (1870-1873)
まだ学生だった彼が3年かけた傑作。モデルはひとりひとり知り合いで、もちろん名前を知っている人たち。スケッチを何枚も重ねて仕上げた。ドストエフスキーもこれを見て、いたく気に入ったらしい。

前回詳細に解説したので、今回肖像画はちょこっとだけの紹介だった。

150620-7

Portrait of Baroness Varvara Ikskul von Hildenbandt, Ilya Repin, 1889

フォン・ヒルデンバント男爵夫人は文学サロンを開き、自分でも著作をしたセレブだったそうだ。縦長のキャンバスが効果的。やはりレーピンはうまい。

風景画にも革命が起きた。それまでは西欧の田園風景などのお手本に沿った、スタジオの中で描く型にはまったものだったのが、画は外に出て、本当のロシアの風景を描くようになる。

150620-5

The rooks have returned, Alexei K. Savrasov, 1871

アレクセイ・サヴラソフ(Саврасов, Алексей Кондратьевич、1830 - 1897)の、春先の融けかけで汚い雪も含めたロシアの風景。最初は「...で、どういう意味?」と理解されなかったそうだ。『Грачи прилетели』、邦題「ミヤマガラスの飛来」、英語だけ「戻って来た」になってますね。毎年来るわけですからね。

わたしが好きなアルヒープ・イヴァノヴィチ・クインジ(Куинджи, Архип Иванович, 1842 – 1910)、ウクライナ生まれと初めて知った。

150620-6

Ukrainian Night, Arkhip Kuindzhi, 1876

夜の風景を描かせたら右に出る人はいない。

ロシア(ウクライナも〜)を現実的に描いた風景画は次第に人気を得て、作品も多くなる。

ただし風景も政治的意味のあるものもあった。一番上の、イサーク・レヴィタン(Левитан, Исаак Ильич, 1860 - 1900)作、「ウラジミルカ」はシベリア送りになった人が通る場所を描いた。ロシア人なら「ああ、あそこ」と分かるらしい。ラスコーリニコフも通ったのかな。

改革を打ちだしたアレクサンドル2世ですが政情不安はなかなか解決せず、60年代後半からは反動へと変化してきたそう。検閲もだんだん強化されていく。そんな風潮を敏感に感じるのも芸術家。

150620-8

Peter the Great Interrogating the Tsarevich Alexei, Nikolai Ge, 1871
皇太子アレクセイが父に謀反を計画した疑いがあり、息子を尋問するピョートル1世。怖ええ。マフィアのボスみたいだ(笑)。ピョートル大帝は息子から皇位継承権をはく奪、その後アレクセイは獄中死し、まあ父親にそこまで追いやられたようなもの。

ニコライ・ゲー(Ге, Николай Николаевич、1831 – 1894)はロシア初の象徴主義画家だそうです。

もっと直接的に暴力を描いたのがレーピン。

150620-9

Ivan the Terrible and His Son Ivan on 16 November 1581, Ilya Repin, 1883 - 1885

イワン雷帝が息子とケンカしてうっかり殴り殺しちゃった。

当時、実際に起きた事件では、皇帝がナロードニキ(人民主義者)に殺されてしまったわけですが、圧政は人民を殺す。暴力の取り返しのつかなさを表現している。この作品が出た回の展覧会はいつもの2倍お客が来たそうだ。見ちゃったら夢に出そう。

移動派は実力ある画家が多く、展覧会は商業的にも成功した。しかしそれもやはり徐々に「勢いがなくなって」きて、革命以後は生き延びられなかったようだ。

最後が殺人事件だと後味が悪いので、人気の熊ちゃんを。

150620-10

Morning in a Pine Forest, Ivan Shishkin (and Konstantin Savitsky), 1878

風景画の名手イヴァン・シーシキン(Иван Иванович Шишкин, 1832 – 1898) が森の風景を描いた上に、後年コンスタンチン・サヴィツキー (Савицкий, Константин Аполлонович, 1844 — 1905) が熊を描き入れた。え、そんなことしていいの?!

「この絵は完成していない、何かが足りない…」と真剣に考えたのでしょうか。しかしお陰でこの絵は大人気になり、チョコレートの包装紙にデザインされてロシア人の記憶に残ることになった。可愛いからいいか。

150620-11

конфеты "Мишка косолапый"

 

 

.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

| ろき | 美術館・展覧会など | comments(4) | - |
「ロシアのポートレート」講義

JUGEMテーマ:アート・デザイン

180520-1

Михаил Васильевич Скопин-Шуйский、1586 - 1610, 17世紀

ケンブリッジのロシア語コミュニティの会で予定されていた美術史講義、いったん中止された後にZoomで復活、参加させてもらった。Nicky Kozicharow博士による:

『Russian Portraiture: From Parsuna to Modernism』

講義は英語ですが、ニッキー先生は祖母がロシア語圏の出身で、ロシア語や文化に造詣が深いとのこと。1時間半でとても内容の濃い話が聞けた。

まず、ロシアには宗教画のイコン以外に、絵画という芸術ジャンルはなかったとのこと。西欧では14世紀からルネッサンスが花開いたが、遠いロシアまでには届かなかったのか。その中でイコンの手法を使って人物を描いていたのが「Парсуна」(パルスーナ)という、やや稚拙な肖像画の初期。その人物の偉業(上のミハイル・スコピン=シュイスキーなら、ロマノフ朝に落着くまでの動乱期の軍人としての栄誉)を讃えるもので、似ているかどうかは関係なかったそう。

ここでも近代化をリードしたのが、ピョートル大帝(1672-1725)。

180520-2

Peter the Great, Tsar of Russia, by SIR GODFREY KNELLER (1646-1723), 1698

「遅れをとっているロシアを何とかしよう」という大望のあった帝は若いころに西欧を訪問、貪欲に西の文化・技術を吸収した。絵画でもだいぶ差をつけられていると気づき、当時イギリスで大活躍していたドイツ生まれのゴドフリー・ネラーに自分を描いてもらった。立派な見栄えのする肖像は、イギリスの王室にプレゼントされ、今もロイヤルコレクションのひとつ。(うちは今に大国になるから見ておれ、っていう意味かな)
その後外国の芸術家をロシアに呼んで、制作、また後継者の育成をしてもらった。

オランダ人の先生から学んだのがイヴァン・ニキーチン(Иван Никитич Никитин c. 1690–1741)。ピョートル大帝の死の床の様子を立派に描く。

180520-3

Peter the Great on the deathbed、Nikitin I.N.、1725

しばらく外国アーティストが活躍する中、国産の優秀な芸術家を育てようということで1757年に帝国アカデミー(今のサンクトペテルブルク美術大学)を創立したのが、ピョートルの娘、エリザヴェータ。やっと教育体制が整った。

面白いのが、農奴の身分からも芸術家になれたということ。当時、身分は14段階だかに分かれていたそうで、農奴は最下位だが、才能を認められてアカデミー会員になったら10位になれ、その中でも出世したら4位までには行けたそうだ。ソーシャル・モビリティはあったんですね。

農奴から出世した人、たとえばフョードル・ローコトフ(Фёдор Степанович Рокотов、1736〜1808)。 エカテリーナ2世の肖像を描くまでになる。
180520-4

Коронационный портрет Екатерины II、1763

横顔をとらえているのが新鮮です。

西欧の美術界では長いこと、絵画として最も価値があるのは歴史的場面を描いた大作だった。(一番下が静物画だっけ)。ロシアではなぜかポートレートが最高位、人気だったとのこと。理由はよくわからない。コメント機能で質問すればよかった。

名手も生まれた。ウクライナ・コサック出身のドミートリー・レヴィツキー(Дмитрий Григорьевич Левицкий、1735 – 1822)はキエフ生まれ。肖像を得意として、エカチェリーナ2世が設立した貴族の女子のための学校「スモーリヌィ女学院」の学生たちの姿を描いた。

180520-5

Ekaterina Ivanovna Nelidova、Dmitry Levitzky、1773

当時、彼女たち(貴族のJK)はプチ・セレブだったそうです。可愛い。わたしもサンクトペテルブルクで一連の絵を見た。踊っていたり楽器を弾いていたり、彼女たちの才能がうかがえる姿が活写されている。

ここでニッキー先生、イギリスの著名な肖像画家トマス・ゲインズバラ (Thomas Gainsborough, 1727 - 1788)の例を上げて、彼の絵で良家の子女は決して動いていないと指摘。楽器を持っていても演奏はしていない。女の子は大人しくしていないといけなかったのかな。

比較のための、ゲインズバラの作品:

190520-1

Elizabeth and Mary Linley — The Linley Sisters, Thomas Gainsborough (1727–1788), 1771–7

踊っている女性を描いた作もあるが、モデルはプロのダンサーだったそう。

ロシアでは踊れる女子の方が人気だよね、お見合い用の絵に最適〜。

だんだん時代が下がって、ロマン主義へ。ヴァシーリー・アンドレーエヴィチ・トロピーニン(Василий Андреевич Тропинин、1776 – 1857)は農奴出身。地主がなかなか解放してくれず、自由を得たのは47歳のときだったそうだ。でも生涯通して傑作を多く残している。まだ農奴時代に息子を描いた作がこちら。

180520-6
Portrait of Arseny Tropinin, son of the artist, 1818

身内には愛があり遠慮はない、生き生きとしていますね。

ロシアにおける肖像画の地位や画家の身分など、新情報がたくさんあって、面白い講義でした。参加者は70人くらいだったかな。この先も、ロシアの印象派ともいえるセローフなど、話は続いた。近代になってくると知っている画家が増える。ここでいったん休憩し、そのうち後半のことを書く、かもしれない(忘れるかも…)。

 

 

.

 


 

| ろき | 美術館・展覧会など | comments(4) | - |
『Picasso and Paper』展@ロイヤル・アカデミー

JUGEMテーマ:アート・デザイン

03032020-5

Femmes à leur toilette, 1937–38

イギリスでは手を消毒するための携帯用ジェルが棚から消えました。お店で補充されたら人が殺到し、「老婦人がつき飛ばされた!」とローカル紙の見出しになっていた。そ、それは事件だ。どこでも余裕がない人間はそういうことしてしまうのね。

週末のロイヤル・アカデミーでのコースで、期間中は有料の特別展に入れる入場券をもらった。けど使いにくのよね、スケジュールびっしりで、行くとしたら昼休みしかない。ピカソ(1881-1973)の紙作品を特集した展覧会を、45分ずつ2回、駆け足で見た(あとの15分でサンドイッチを食べる)。内容が盛りだくさんで、合計90分では足りなかったけど、覚え書を。

Picasso and Paper

だいたい時系列順に、ピカソが紙をどう使ったかを見せる。版画からコラージュ、切り絵などなど、本当にいろいろやっていたことがわかる。

小さいものばかりだと見るのも大変なせいかな、油絵の大きな作品もときどき。

03032020-1

La Vie, 1903

青の時代、やはり若いころって暗い。だんだん明るくなり、手がつけられなくなっていく〜。

薔薇色の時代、好きです。

03032020-2

The Harem, 1906

特に自分で油絵を描きながらその途中で見ると、「ああ、彼はこうしていたんだ」と気づくこともあり、贅沢な体験だ。

印象的だったドライポイントの女性。

03032020-3

Head of a Woman in Profile 1905、Drypoint on copper

これと似た横顔の青い油絵もあるはず。「シュミーズの女性」だっけ?

だんだん作品がぶっ飛んできます。ガラスに貼られた切り絵の数々が楽しかった。

スルメー!w

03032020-4

c. 1914

また、バレエ・リュスに依頼されてバレエ用衣装・美術の製作も旺盛にこなす。バレエ『Parade』(1917年)の最近の上演のビデオが流れていた。コクトーと共作ということで、一流同士、楽しく制作したのだろう。

近い時期、30代後半の自画像。シンプルな線に自信があふれる。

03032020-6

Self-portrait, 1918

大作「ゲルニカ」を描くための習作もいくつか。

03032020_7

The dead the minotaur in Harlequin costume, 1936

大作のために何枚も何枚も習作を描いたのがわかる。準備のためというより独立した作品のよう。後から後から湧いて来るエネルギーを感じた。

ちゃんと見たとはとてもいえない展覧会だけど、ピカソの恐るべき創作欲に接して元気は出ました。4月前半までやっているから、また出かけようかとも思う。状況によりますが。

バレエのクリップ。馬の足さばきが最高!

Sets and costumes - Pablo Picasso
Music - Erik Satie
Scenario - Jean Cocteau
Choreography - Leonide Massine

錚々たる制作陣ですねえ。

 

 

.

| ろき | 美術館・展覧会など | comments(6) | - |
ブルージュの美術館・教会

JUGEMテーマ:旅行

010220-3

歴史ある街を訪ねるときは、美術館や博物館が楽しみ。

ブルージュでは3日間有効で13の施設に入れる「Musea Brugge Card」(ブルージュ美術館カード)を活用した。28ユーロだけど、大き目の美術館は入場料12ユーロ、すぐに元がとれます。さらに泊まるホテルによってはこのカード自体が4ユーロ割引になるところもあり、お得。寒い日には手近な室内にすぐ入れて助かる(笑、この理由で考古学博物館にも入った)。

まず行ったのは聖ヨハネ施療院(Sint-Janshospitaal)。ヨーロッパでも最古の病院のひとつが博物館になっている。

010220-1

St. John's Hospital in 1778, Jan Beerblock 

地元ブルージュの画家が描いた、18世紀の忙しい病院の内部。昔から教会は医療活動の中心。当時の医療器具などの展示もあり、興味深かった。

半分は宗教画の美術館となっている。

有名なハンス・メムリンク(ca.1430-40 – 1494) はドイツに生まれブルージュに居ついた画家。彼の作が集まっているので、メムリンク美術館とも呼ばれる。

010220-2

Altaarstuk van Johannes de Doper en Johannes de Evangelist、Hans Memling、1479

中世の宗教画は素朴な信仰心が表れている。そして発色がとても良くて鮮やか!(修復のたまものかな?)

『聖女ウルスラの聖遺物箱』(Shrine of St. Ursula), 1489年がお宝。

050220-1

ブリテン島のお姫様だそうです。聖堂型の置き物のパネルにメムリンクが精緻な絵を描いている。

「アーシュラ」という女性名はウルスラから来てますね。意味は子熊(雌の)、可愛いかも。

他にも無名の画家の印象深い作品もあり。

010220-4

twee luiken met de Boodschap、anonymous, Flanders, 15th C

2人とも白い衣装で清らか。

次に行ったのは、

グルートゥーズ博物館(Gruuthusemuseum)

街が最も栄えた時代の貴族の屋敷に、美術品、工芸品を集めている。グルートゥーズ家はビールの醸造に関係した名家だそう。

010220-5

ベルギービール醸造家の守護聖人、聖アーノルドの盾。いろんな守護聖人がいるもんだ。盾は直径50cmくらいあったと思う。

010220-6

大天使ミカエルのステンドグラス、1500年ごろ。

こうした大きな家は運河に面していて交通の便がよく、街を見下ろす高さもある。富を感じさせます。

ヨーロッパ各地から美術品が集まっている。

010220-7

聖アグネス、南ドイツ、1490 - 1500

13歳で殉教したそうで。上の聖ウルスラさんもそうだが、信仰のために亡くなった若い女性の伝説は多い。

絵画も、静物や肖像などが豊富だった。

010220_9

Portret van een deken van het Brugse Sint-Michielsgilde、Jan Hals、1631
ん、ハルス?と注目したら、有名なフランス・ハルスの息子のヤン・ハルス  (1620–1654)だった。父子ともにオランダ黄金時代の画家。お父さんの方が闊達な雰囲気かな。あれ、この絵はヤンが11歳で描いたことになるが、どっちかの年が間違っているんじゃないかな。そのうち調べます。

美術館関係は多くが月曜休み。なので月曜は、いつでもオープンしている鐘楼の階段366段(いい運動!)を上ったり、聖母教会でミケランジェロの聖母子像を見るのに費やす。

聖母教会(Onze-Lieve-Vrouwekerk)

さすがカソリックの荘厳な作りで、内部の装飾がすみずみまで美しいが、やはりメインはこちら:

010220_00
Madonna by Michelangelo, 1501–1504

全然幸せそうじゃない顔がいいですね。お母さんマリアは何がなし悲しそうだし、小さいジーザスはすでに家庭的なものから心が離れているよう。さすがミケちゃんだ、恐れ入った。

もうひとつ、聖母のこんな絵も:

010220-8

Our Lady of the Seven Sorrows, Adriaen Isenbrant(1490 - 1551)、1518 〜 1535

マリア様が息子の短い生涯のエピソードを思い起こしている。家業の大工修業もろくにせずに教会に入り浸って大人と議論し、成人したら新興宗教の教祖になって逮捕、34歳で処刑される…親不孝ものだねー。教祖とはそんなものですが。

この絵は息子が死んですぐ、復活するとは知らない時ですね。

これについてちょっと質問したら、ステファニーさんという若い女性学芸員がめっちゃ熱心に教えてくれた。質問なんかする人が珍しかったか。この画家アドリアーン・イゼンブラントは北方ルネサンスの重要な人物とのこと。聖母の衣装は黒に見えるが濃い紺だそうだ。

他にもここでしか見られないだろう美術工芸品が多数で、贅沢な時間を過ごせた。

今回見られなかったグルーニング美術館 (Groeninge Museum)にはヤン・ファン・エイクやヒエロニムス・ボス(大好きw)から、マグリットやデルヴォーまであるそうなので、次回は真っ先に行きたい。

 

 

.

| ろき | 美術館・展覧会など | comments(6) | - |
『Pre-Raphaelite Sisters』ナショナル・ポートレート・ギャラリー

JUGEMテーマ:アート・デザイン

120120-9

Fanny Cornforth, Dante Gabriel Rossetti, 1874
イギリスのヴィクトリア朝時代に活躍した画家・美術評論家集団「ラファエル前派」、世界一美しい水死体「オフィーリア」を描いたジョン・エヴァレット・ミレーを筆頭に、ウィリアム・ホルマン・ハント、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティなどがいる。

今ナショナル・ポートレート・ギャラリーで開かれているのは、ラファエル前派に関わった女性たちをテーマにした展覧会、『Pre-Raphaelite Sisters』。ロマンチックな絵に欠かせないモデル、画家の妻になった人、自分でも制作した人など、いろんな女性12名をフィーチャーした。

12人:Joanna Wells, Fanny Cornforth, Marie Spartali Stillman, Evelyn de Morgan, Christina Rossetti, Georgiana Burne-Jones, Effie Millais, Elizabeth Siddal, Maria Zambaco, Jane Morris, Annie Miller, Fanny Eaton

全員は無理なので、面白かった人たちをピックアップして覚え書き。

まずエフィー・グレイ(Effie Gray Millais、1828 - 1897)は映画にもなった、ラスキンと結婚中にミレーと恋仲になり、後に正式に妻になった人。

「お父さんが帰ってきて喜ぶ犬」の絵の奥さんのモデル↓

120120-8

The Order of Release, John Everett Millais, 1852 - 53

彼女が不幸な結婚から解放される未来を暗示しているのかも。

その後は旦那は出世してサーの称号がつき、最終的にはロイヤル・アカデミーの会長にもなった。幸福な結婚生活だったようだ。

120120-1

Portrait of Effie Millais, Sir John Everett Millais, 1873

威厳を感じます。

一方、クリスティーナ・ロセッティはダンテ・ゲイブリエルの妹で詩人。奴隷制反対や、性産業で働く女性の保護などの運動にも熱心だったそう。若いころ、兄のモダン(19世紀当時)な受胎告知の絵のモデルになっている。

120120-2

Ecce Ancilla Domini, Dante Gabriel Rossetti, 1850

この絵では清楚な美少女だが、怒らせると怖かったらしい(笑)。

かんしゃくを起こす彼女を描いたスケッチ。

120120-3

Christina Rossetti in a Tantrum, Dante Gabriel Rossetti, 1862

おおー、手がつけられん。お兄さん、妹が可愛かったんでしょうね(少し恐ろしいけど)。

ロセッティの女性関係は複雑でわたしにはついていけませんが、彼が結婚したのは、ミレーの「オフィーリア」のモデルであった燃えるような赤毛のエリザベス・シダル(Elizabeth Siddal、1829 - 1862)。

170120-1

Ophelia, John Everett Millais, 1865-66

これはテート・ブリテンにある大きな油絵(1851–2年)の後に、小さく描いたバージョン。個人蔵です。

30代前半で亡くなってしまったが、彼女はロセッティに手ほどきを受けて、自分でも絵を描いたりしていた。

120120-10

Lovers Listening to Music, Elizabeth Siddal, c1854

美術の専門の学校できちんとデッサンなど学ぶ機会があれば、もっと説得力ある作品が描けただろうが、まだまだ女性には門が開かれていなかった。

1968年にスレード美術学校が設立されて女性を受け入れ始める。70年代に学生だったのがイーヴリン・モーガン(Evelyn Morgan、1855 - 1919)。

120120-4

Night and Sleep, Evelyn Morgan, 1878

これは大作だった。もちろん本人の才能だが、教育を受けたということも大事だったと思う。

ジョアンナ・メアリー・ボイス(Joanna Mary Boyce、1831 – 1861)は水彩画のGeorge Price Boyceの妹。フランシス・ステファン・キャリーの美術学校で学ぶ。ロイヤルアカデミーの予備校のような学校だったらしい。

120120-5

Elgiva, Joanna Mary Boyce, 1855

10世紀のアングロサクソンの貴婦人だそうです。イングランド王エドウィと結婚していたのに、当時の大司教に政治的迫害を受け、結婚を破棄されてしまったとか。なので悲しそうな表情。ボイスは出産で30歳の若さで亡くなってしまい、惜しまれた。

そんなわけで「シスターズ」の絵画作品はあまり多くない。やはり目を引くのは「ブラザーズ」の作品。

同じモデルでも結果がだいぶ違う。後にウィリアム・モリスの妻になったジェーン・バーデン:

120120-6

La Belle Iseult, William Morris, 1858

ロンドンの街中でロセッティにスカウトされたそうで、長身で目を引く美女だった。

ロセッティが描くとこうなる:

120120-7

Proserpine(部分), Dante Gabriel Rossetti, 1877

全然違うじゃん。モデルから何を引き出すかは画家の勝手ですから。

ロセッティはジェーンがモリスと結婚してしまってからも彼女のことが好きで大変だったらしい。恋愛体質なのでしょうがない。↑一番上の絵のモデル、ファニー・コーンフォース(Fanny Cornforth、1835 - 1909)も彼のモデルで、彼がエリザベス・シダルと結婚する前と後の恋人でもあった。本当にもう。

絵画の展覧会としてみたら、すごい傑作が目白押しというわけにはいかない。しかし制約の多い時代の中で、少ないチャンスを活かして努力した(奮闘・バトルだった人も)さまざまな女性の生き方に、「自由な環境で恵まれているのに、ボーッとしてちゃいかん」と思わされます。

 

 

.

| ろき | 美術館・展覧会など | comments(6) | - |
『Rembrandt's Light』展@ダリッジ・ピクチャー・ギャラリー

JUGEMテーマ:アート・デザイン

291219-8

The Denial of Peter, 1660 

というわけで、ダリッジのお目あて「レンブラントの光」展です。絵具で巧みに光と影を表現したレンブラント、そのためにどんなセッティングで描いたのかがわかるよう、展示室を同様のライティングで照らすという趣向。

暗い絵だと暗めの部屋になる。

「え〜、普通のライティングで見やすくしてほしいのに」と見る前は思ったが、体験してみると面白かった。たとえば上の絵はドラマチックなライティング、光をスポットライトのように使った。場面はイエス・キリスト逮捕の現場で「あら、この人もお仲間じゃない?」と指さされた親しい弟子のペテロが、

「わたしはあんな人知りませんよ」と三回も否定してしまった場面。やっちまったな…。右側に手を後ろで縛られたキリストがこっちを振りむいている。怖い。

暗さを追求したエッチング。

291219-9

Student at a Table by Candlelight, ca. 1642

ローソクだけがぽっと明るい。電気のない時代の闇は深い。

イエスが死後よみがえってマグダラのマリアに見つかった場面の絵は室内の照明が徐々に消え、真っ暗になり、まただんだん明るくなっていく仕掛けだった。

291219-10

Christ and St. Mary Magdalene at the Tomb, 1638

イエスの墓参りに来たのに墓がからっぽで驚いているマリア、ふと後ろを見ると…

「やだ先生!そこにいたんですか?」

「やあ待たせたな」みたいな。なにかカジュアルで明るい感じ。

ジーザスはなぜか庭師の格好をしているそうで、わたしはまた、手にしたスコップで自分で墓を掘って出て来たのかと思った!そんなバカな。

真っ暗闇から明るくなるときに、まずキリストの衣装、そして背景の空と、ぼーっと白く浮き上がるのが面白い。

レンブラントは弟子の指導にも熱心だった。

これは彼が構図を決め、光源が2つ(窓と、炎)ある場合にどう処理するか、課題をあたえたものだそう。

291219-11

(Rembrandt and pupil) Tobit and Anna with the Kid, 1645

窓はいいけど、炎はうまく描けていないような気がしません?周囲に照り返しがあるはず。そして窓と違って赤味が強いはず…なんて偉そうに言ってみる。

↓弟子の描いたスタジオのテーブル。「よし、今日もがんばろう」という気持ちが表れている。

291219-12

(Attributed to) Willem Drost、 An Artist's Work Table by a Window - Overlooking a Roof, c.1650 - 55

レンブラントを超えたと思える弟子はいないようですが、優秀な人も多かった。

291219-13

Arent De Gelder,  Jacob's Dream, c.1710 - 15

アールト・デ・ヘルデル(1645 – 1727年)はレンブラント最後の弟子のひとりで、師のスタイルを守った人だそう。広がりのある空間が表現されている。

最後の部屋はレンブラントの人物画が並ぶ。

291219-15

A Woman in Bed, c.1647

スーパーセクシー(レンブラントとしては)な白い肌の美人。背後の暗さが効果的。

そしていつ見ても可愛い、このギャラリー所蔵の窓辺の少女。

291219-14

Girl at a Window, 1645

この絵の飾られたボードが面白くて、スチュアート・センプルというアーティストの作ったBlack 3.0という世界で最も黒いアクリル絵具、可視光線の99%を吸収してしまうという「瓶入りのブラックホール」。うん…確かに黒かった。

でもレンブラントが描いた帽子なんかの黒も、同じくらい黒く見えた。色は相対的なもの、人の目は騙されるので。

一晩中どこかで明かりがついている、ベッドでもついスマホを光らせてしまう現代人には、なかなか真の暗闇は描けないかもしれないなあ、と思ったりした。

短い展覧会の紹介:

 

 

.

 

 

 

| ろき | 美術館・展覧会など | comments(6) | - |
ダリッジ・ピクチャー・ギャラリー訪問、まず常設展

JUGEMテーマ:エンターテイメント

301219-1

(まだクリスマス気分の入り口)

コメント欄で話題にしたら行きたくなってきて、ちょうど気温高めで天気も良いし、ロンドンの郊外南東部にあるダリッジ・ピクチャー・ギャラリー(Dulwich Picture Gallery、「ダルウィッチ美術館」と呼ばれることもあり)に出かけた。

ロンドンを越えていくのでちょっと面倒だが、ケンブリッジまで出ればロンドンブリッジまで乗り替えなしに行ける電車もできたことだし…と思っていたら、その電車はキャンセルされた。「スタッフが不足のため」だそうです。みんなまだ休暇中?こんなこともあろうかと、かなり早めに駅に着いていたから、別の電車を利用、地下鉄に乗り替えたりなどして遅刻せずに到着した。

お目当てはちょっと変わった趣向のレンブラント展ですが、その前に常設展を鑑賞。

このギャラリーは個人の美術コレクションだったものを展示するため200年ほど前に開設された。常設展は17世紀からのポートレートや風景画が充実している。

291219-1

George Digby, 2nd Earl of Bristol, Anthony van Dyck, c.1638

あ、この人最近テレビで見た。ジョージ・ディグビー、第2代ブリストル伯爵。清教徒革命からのチャールズ1世の処刑をテーマにしたドキュメンタリーで、美男で政治家として人気も実力もあったのに、性格がやや不安定、王党派として肝心なときにうまく動けず、結果、王の立場を悪くしちゃった人物として描かれていた。ヴァン・ダイク(1599 - 1641年)の筆が冴えている。

ヴァン・ダイクが亡くなった年にオランダからイングランドに渡ったピーター・レリー(1618 - 1680年)は彼の後を継ぐように活躍した。

291219-2

Portrait of a Lady in Blue holding a Flower, Peter Lely, c.1660

ドレスのさらさらいう衣擦れの音が聞こえそう。上流階級の人々がこぞって描いてもらったのもうなずける。

彼はチャールズ1世も、その政敵オリバー・クロムウェルも描いている。さらに故王の息子として王政復古で地位についたチャールズ2世には主席宮廷画家に任命されたという売れっ子。

291219-3

A Boy as a Shepherd, Peter Lely, c.1658-60

こんな羊飼いの少年がいるわけないけど。そういうセッティングね。

ポートレート以外では、いろんなポーズを描いてみた習作なのではと思われているこれが大作だった。

291219-4

Nymphs by a Fountain, Peter Lely, early 1650s

足の裏がなんかセクシー(笑)。

アムステルダムの画家を集めた部屋があった。大きなのびのびした風景画がこちら。

291219-5

Landscape with Sportsmen and Game, Adam Pynacker, c.1665

アダム・ペイナッケル(1622 - 1673年)の作。手前の葉っぱが青い。奥の人物の服と同系色なのでなじむが、不思議な配色だ。狩りに付き添う仕事熱心な犬が精悍。

そうそう、こちらは18世紀の作になるけど、いつも見つけると嬉しくなってしまうティエポロ。

291219-7

Virtue and Nobility putting Ignorance to Flight, Giovanni Battista Tiepolo, c.1743

青と黄土色の組合せが絶妙。それにしても、いろんな角度から人体デッサン練習しただろうなあ。

あまり広くないので疲れずゆったり見られる。その後、時間制入場の特別展へ。それについては年明けに書きます。みなさま良いお年を。

帰りにロンドンの駅から。

291219-6

 

 

.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| ろき | 美術館・展覧会など | comments(9) | - |
『Feast & Fast』@フィッツウィリアム博物館

JUGEMテーマ:アート・デザイン

081219-1

Winter Landscape with Bird trap
Pieter Brueghel the Younger, c.1626

ケンブリッジ大学フィッツウィリアム博物館の特別展『Feast & Fast: The Art of Food in Europe, 1500-1800』、ヨーロッパの食の文化をテーマにしたユニークな企画。絵画や工芸品ほか、文献など、珍しい展示物が多い。上の写真はピーテル・ブリューゲル(父)のオリジナル(c.1565)を、息子が17世紀に模写した作品。右手前に鳥の罠がある。

17世紀イングランドの刺繍(部分)

081219-5

アルカディアを描いているそうで、鳥や動物がいて楽しそう。動物が身近な存在だったのが感じられる。ユニコーンもいるけど(笑)。

こちらはウサギに逆襲されて、狩人がローストされている図(横長なので、部分):

081219-8

The world turned upside down: hares roasting a hunter, Virgil Solis, 1530-1562

ウサギを怒らせると怖いのである。ドイツ、ニュルンベルクの芸術家ヴァージル・ソリスによる版画。

料理道具や食卓の実用品も面白い。

18世紀、ジンジャーブレッドの木型。ジョージ3世の国章なので、王宮のディナーで使われたんでしょうか。

081219-7

牛さんの乗ったバター皿、優雅。

081219-2

18世紀には食べ物そっくりの陶磁器も流行ったそうで、カラフルで美味しそう。

081219-10

会場のディスプレイも凝っていて、砂糖のお城が飾られたり、白鳥のパイをメインにした食卓がしつらえてあった。

081219-4

タイトルのうち”Fast”(断食)の方はどうしたのか、というと、宗教的な理由で質素にしていた修道士などの像がちょこっとあった程度であった。地味ですからね。↓ このデルフト製のタイルは、聖書の中で食べ物が出てくる場面を描いたもの。18世紀の作品。

081219-3

絵画ももちろん華やかな食卓、新鮮な果物の描かれた作品がいくつも展示されているが、描くのに時間かかっちゃって(?笑)腐ったやつが――すばらしい!

081219-6

Still life with rotting fruit and nuts on a stone ledge, Abraham Mignon, c. 1670

甘〜い腐敗臭がただよってきそうだ。アブラハム・ミグノン(1640〜1679年)はドイツの画家。もちろん普通は新鮮なのを描いてます。信心深かったそうで、この作品に影響があるのかもしれない。38歳で亡くなっているのが惜しまれる。

日常から非日常まで、人間は毎日食べ物に関わっている。たいていの人には興味のある分野でもあって、そこから芸術を見渡しているこの展覧会、楽しく鑑賞できた。

4時には外は暗くなっている。博物館の庭では現代作家のBompas & Parrによる巨大パイナップルがライトアップされていた。熱帯の果物らしく元気があってよろしい。

081219-9

 

 

.

 

 

| ろき | 美術館・展覧会など | comments(2) | - |
ポール・ゴーギャンのポートレート展@ナショナルギャラリー

JUGEMテーマ:アート・デザイン

171119-8

Still Life with ‘Hope’,  1901

ポール・ゴーギャン(1848 - 1903)の人物画特集を、ポートレート・ギャラリーではなく、お隣りのナショナル・ギャラリーの方で開催中。

Gauguin Portraits』(7 October 2019 – 26 January 2020)

ゴーギャンはパリ生まれ、株式仲買などのビジネスで成功していたが、市場が大暴落、そこから突然「絵で生計を立てる」とほとんど妻子を捨てて勝手に画家になる。フランスの田舎から、タヒチなど南の島へ移住して制作。同時代人にはあまり受け入れられないまま54歳で死去。(ドガは彼の絵を買っていたが)

わが道を行った彼の人生を表す人物像の数々、やはり人間は面白い。

上の写真は「surrogate portrait(代理ポートレート)」というらしい。ひまわりの花を描き、南仏で共同生活をしたがケンカ別れに終わった元友人のファン・ゴッホをしのんだ作品。背景にある2枚の絵、上がピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(1824 - 1898)の「希望」(1871 - 1872)、下のはエドガー・ドガの版画だそう。

自画像もたくさん描いているゴーギャン、面白い作が何枚も展示されていた。

171119-1

Self portrait, dedicated to his friend Daniel, 1986
鼻が特徴的。彼は先祖がペルーに住んでいたため、南米先住民の子孫だ、なんて吹聴していたらしいが、実際はペルーに入植したスペイン人だったそうで、先住民と血はつながってません。「今いるところが気に入らない」性格なのだと思う。

自分をキリストに見立ててゴルゴダの丘を描いたりもしている。大胆だね。

タヒチやブルターニュ、パリを行き来していたころの。

171119-5

Self Portrait with the Idol, c.1893

黄色いトーフみたいな形のものが目立ちすぎ!(笑)――椅子の背なんですね。後ろにタヒチの偶像が。

偶像?を使って失敗した例は:

171119-2171119-

Young Breton Woman, 1889

これはブルターニュのとある高貴なお家のお嬢さんを描いたものだが、背後に自作の彫像を入れている。で、像は下半身から出血している。伯爵令嬢であろうと、女性は大人になったら普通に定期的に血を流すものとはいえ、背景にいれちゃいましたか。当然ながらモデルの母の伯爵夫人はこの絵を買わなかった。だから失敗、とはいえ、絵としては少女の不機嫌な表情とか、とっても面白い。

ブルターニュで描かれた別のポートレート:

Portrait of a Pont-Aven Woman (Marie Louarn?), 1888

これも好きな作品。色が明るく、人物もめずらしく正面を向いている。

陽光が感じられる。彼女はこのあたりの芸術家のモデルとして人気があったそうだ。

これも正面向き、タヒチで描かれた作品:

171119-4

Portrait of Suzanne Bambridge, 1891

英系・ポリネシアの有力な家の女性だそう。ボリューム感とか衣装の色とか、温かくて良いと思うんだけど、モデルは気に入らなかったらしい。あまり「美化」してなさそうだしなあ。依頼者が気に入るような肖像を描く、なんて頭になかったのだろう。

展覧会場のすぐ外の部屋で上映されていた解説フィルムによると、ゴーギャンはタヒチでもフランスの植民地政策が気に入らなくて、フランス人社会の偉い系の人(牧師とか)とよくケンカしたらしい。現地住民の立場に立ったともいえるが、自分は13歳の女の子を現地妻にしたりしていた…。死因の大きなものに「梅毒」がある。素行はよろしくない。

早死になので晩年といっても50歳そこそこだが:

171119-6

The Sorcerer of Hiva Oa (Marquesan Man in the Red Cape), 1902

地元のヒーラーを、西洋的な「ポートレート」の様式で描いたもの。よくいる貴族の肖像なんかの足元にいる愛犬の代わりなのか?変な動物が気になる。可愛いな。

最後の自画像は、よけいなものがそぎ落とされて、シンプル。

171119-7

Self-portrait, 1903

肩の力が抜けたというか、もう力が入らないほど健康を害していたかもしれない。けれど表情が素直になった。人にどう言われようと自分の好きにしか生きられなかった人間が、最期に自分に向き合った姿。この作は、自分を世話してくれていたベトナム人の青年にプレゼントしたそうだ。

「クール」な色のヘレン・シャルフベックの後で、気温が20℃違いそうなゴーギャンの色を見ると、もわっとした湿気ある熱がただよってくるようだった。まあでも北国育ちなので、寒い方がいいかな…。

 

 

.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| ろき | 美術館・展覧会など | comments(4) | - |
ヘレン・シャルフベック展@ロイヤル・アカデミー

JUGEMテーマ:アート・デザイン

131019-9

Fragment, c.1904

 

というわけで、また行ってきましたロイヤル・アカデミー。

今回は天気が悪くて、ゴームリーの赤ちゃんが雨ざらし…。

131019-11

なんか、秋に開催したのは良くなかったかも〜。

去年完成した大規模改築の結果、大きな展覧会も2つ同時に開けるようになったロイヤルアカデミー、通路でつながっている別館での展覧会。

Helene Schjerfbeck

フィンランドの画家ヘレン・シャルフベック(Helene Schjerfbeck、1862–1946)の作品を60点以上、まとめて紹介。

スウェーデン語を話すフィンランド人中流家庭の出身。4歳のとき階段から落ちたとかで腰を痛め、それからずっと歩くとき足を引きずることになった。幼いころに生涯背負う事故に遭ったのは気の毒だ。けれどそのお陰で、長期休養の間に気晴らしとして絵を描くよう、お母さんが教えた。それがとんでもなくうまくて、美術の学校に入学年齢に達する前に入ることになったのが11歳のとき。人生何が幸いするかわからない。その後18歳で奨学金を得てパリほか、ヨーロッパで学ぶ。

勉強熱心だったのがわかる。一番上の写真『Fragment』は油絵だが、フレスコ画の効果を出すために、一度描いて削り落とす作業を繰り返したとのこと。

こちらは二十歳そこそこの作品。セザンヌが好きだったそう。

131019-1

Shadow on the Wall (Breton Landscape), 1883

さりげなく描いていて、バランスのとれた色使い、構図。

ちょっとムンクみたいなのもあり。

131019-3

The Tapestry, 1914-17

絵の教師をしながら、フィンランドの芸術協会の依頼でサンクトペテルブルクに派遣されて名画の模写をしたりと忙しかった彼女。体は強い方でなく、疲れてしまって1902年に教職を辞し、ヘルシンキから少し離れた田舎で年老いた母の世話をして暮らした。

131019-4

At Home (1903)

大人しくて世話しやすそうに見えるお母さんだ。

田舎にほぼ引きこもっても制作を続け、フィンランドで最も尊敬されている画家のひとりだという彼女、全然知りませんでした。

自画像の部屋がとても面白かった。

若いころから:

131019-5

Self-portrait, 1884-85

年齢を重ねるにつれての表現法の変化が順に追える。

131019-6

Self-Portrait, 1912

50歳くらいですか、いい感じですね。

でもここで止まらないのがすごい。

131019-10

Self-Portrait, Light and Shadow, 1945

亡くなるちょっと前か。

これが最後のセルフ・ポートレート↓

131019-7

self portrait 1945

うおお。すごいです(語彙が貧弱…)。

彼女の静物も好き。

131019-8

Still Life in Green, 1930

ちょっとスレード美術学校の流儀に似ているような感じがする。ずーっと見てられます。

これも、色が良い。

131019-2

Still Life with Blackening Apples, 1944

今年一番感動した展覧会です。27日までなのでもう一度行くのは無理そう。

「肖像画の部屋」がもう少し詳しく見える動画:

 

 

 

.

| ろき | 美術館・展覧会など | comments(10) | - |
/ 1/26PAGES / >>