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ロイヤルバレエ@シネマ『Anastasia』

JUGEMテーマ:エンターテイメント

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先週はニールのスタジオのデッサンをさぼって映画館でバレエ鑑賞。ロイヤルバレエの「アナスタシア」。

CHOREOGRAPHY -- KENNETH MACMILLAN
MUSIC -- PYOTR IL’YICH TCHAIKOVSKY AND BOHUSLAV MARTINŮ

<Cast>

TSAR NICHOLAS II -- CHRISTOPHER SAUNDERS
TSARINA ALEXANDRA FEODOROVNA -- CHRISTINA ARESTIS
GRAND DUCHESS ANASTASIA/ANNA ANDERSON -- NATALIA OSIPOVA   
RASPUTIN -- THIAGO SOARES
MATHILDE KSCHESSINSKA -- MARIANELA NUÑEZ
KSCHESSINSKA’S PARTNER -- FEDERICO BONELLI  
THE HUSBAND -- EDWARD WATSON

(キャスト表のPDFをコピペしたら全部大文字になっちゃって、読みにくくてすみません)

ロシア革命で退位させられた最後のツァーリ・ニコライ2世とその家族は、裁判もなしにボリシェビキに処刑されてしまった。

ただ、末娘のアナスタシアだけは生き残って逃げのびた、という噂がなかなか消えなかった。一家が一人残らず銃殺では悲惨すぎる、という世間の願望もあったのかもしれない。

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写真右から3人目がアナスタシア。

1960年代に創られたこのバレエは、(わたしはアナスタシア)と名乗り出た、実在した女性アンナ・アンダーソンのアタマの中を描くという野心作。

1幕は1914年、第一次世界大戦が勃発、という直前に、楽しく舟遊びをする呑気なロイヤルファミリーとその友人たち。アナスタシアはまだ子供で元気いっぱい。

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Ryoichi Hirano, Valeri Hristov and Alexander Campbell

平野くんの海軍士官が素敵。

2幕でも革命が迫っている中、現実が見えずにアナスタシアの社交界デビューの舞踏会。

招かれたバレエダンサー役のヌニェズとボネッリのパ・ドゥ・ドゥが豪華。

クラシカルな踊りの世界に、不穏な空気はすでに混じりつつある。音楽はチャイコフスキーで失われた過去への哀悼を響かせる。

3幕はもうその世界が消えうせた、アンナの収容されている精神病院。

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音楽もガラッと変わってチェコのボフスラフ・マルティヌー。

アンナ(アナスタシア?)は過去を切れぎれに思い出している。処刑の場から助け出された。確か結婚した(旦那は一番上の写真のエドワード・ワトソン)、子供がいたような。でももう誰もいなくて、みんなはわたしがアナスタシアではないという。でもわたしは覚えている。でも・・・。とぐるぐる。自分が誰だかわからない。

ダンスは一変してモダン、リフトされながら痙攣したり、ナタリア・オシポワの身体能力が冴えます。精神が不調な人はまず姿勢がおかしくなる、というのを体現していて痛々しい。壮絶だった。

「マクミランは大好きです、真の女優になれるから」とインタビューで言っていたオシポワ、さすがの出来だ。

ラスプーチンのソアレスも、いつも舞台のどこかにどんより立っていて気持悪くて最高だった。当たり役だ。

今でこそDNA鑑定でロマノフ家7人全員の死亡が確認されているが、60年代だと(ひょっとして?)という疑惑はあった。謎の部分がさらにバレエに深みを加えていただろう。

そういえば今年のロシアのバレエ・コンテスト番組(各地バレエ団の若手が出場)でマクミランの「冬物語」を踊ったペアが、普段から厳しめの審査員に、

「こんな振付はダメです。ロシアのバレエじゃない」とバッサリ切られていた。題材はチェーホフなんだけど、それがさらに気に入らなかったのかも。

オシポワはロシアでは決してアナスタシアを踊れなかったことだろう、ロンドンに来て良かった。

 

オシポワほかのインタビューやリハーサルなど:

 

 

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| ろき | 演劇・ダンス他 | comments(10) | - |
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Comments:
おもしろそう。
わたし、lokiさんのブログを見せていただくようになってから、英国のロイヤルバレエの作品群のことを知るようになったのですが、いずれもただ伝統的な様式美を表現するのではなく、かといって変に舞台を現代化するのでもなく、ドラマチックで娯楽性がありながら内面を掘り下げたアクチュアルな問題を考えさせられる作品作り、すごく魅力を感じます。
日本だと、バレエって、どこか借り物臭いおとぎ話的な感じがするのだけど、英国では、バレエって、まさに時代を超えた人間の内的ドラマを表現するものとして、常に時代に合わせて進化している、という感じですね。
今生きている人の問題から、遊離していない、というか。
relevantというか。
見ている人が、relateできる、というか。
マーケティング的にも、すごい、と思います。
これが、演劇的文化の国のバレエ、ということなのでしょうか。
* みか * 2016/11/09 11:48 PM
みかさん、まさに!演劇文化が下地にずっしりある感じですね。
「ロミジュリ」の喧嘩の場面、ロシアだとあくまで舞踏として、ロイヤルだとお互い殺す気で殺陣やっているように見えたり。
長いバレエの伝統があって、さらにその国の文化によって様々な開花をしているんですね。
日本は国立バレエ学校ってないんでしたっけ。まだ時間がかかるのかも。

そうそう、そのロシアの番組に日本人ペアも出ていました。可愛いけど、他の子がやっているような不倫の別れの愁嘆場とかできるのかな、と思うあどけなさだった。
* Loki * 2016/11/10 2:02 AM
作られた当時はまだアンナはアナスタシアでは?という考えもあり得たのですね。
「女優になれる」というのだから、
精神病院のシーンはやりがいがあったでしょう。

「こんな振付はダメです。ロシアのバレエじゃない」と言い切るロシアバレエ関係者に驚き。
伝統あるロシアのバレエに絶対的な自信があるのですね。
* はむはは * 2016/11/10 6:44 AM
精神の不調な人は姿勢がおかしくなる、なるほど。
じゃあ「私は正気です!」と主張する時は、正しい姿勢でいなくちゃ。
今から体幹を鍛えます。

普段から美しい姿勢を保っているダンサー、崩すのは結構大変かもしれませんね。

ファンタジー系の悲劇と違って、観客は重苦しい気分になるのでは...?
それでもやっぱり、踊りの凄さに圧倒されるのかなぁ。
* B * 2016/11/10 12:44 PM
Lokiさん、踏襲すべきスタイルや考え方を継承することを重視する、という傾向は、日本では『型から入る』とか儒教道徳の影響とかのせいで、強いんだと思うんですよね。『型のほうに合わせる』というか。

でも、善悪の判断なしに、現実のナマの人間にいかに迫るか、という視点が、どうしても欠けてくる。

たとえばファッションでも、人体という生きた彫刻美をいかに表現するか、ではなく、いかにすてきな布をまとわせるか、とか、飾りをつけるか、という方向に行きがち。

かつて、パリのオペラ座の衣装部で修行をした、という日本人の方が言ってたのですが、師匠から言われたのは、『ビュスチエとか下着がきちんと作れるというのが、すべての基本だ』と。
つまり、まずは『現実の人間の姿かたちへの敬意ありき』なのだな、と思いました。

これは、外形についての考えですが、内面についても、そういう捉え方をしているんではないか、と思うのですよね。
人間のあるがままの感情とか欲望とかを、つぶさに見て、理解する、という。

そういう西欧的な人間観が、たとえば英国のバレエの作品作りにも、表れてるのかな、というふうにも、感じたりします。
それが、英国の場合、強みである演劇性とあいまって、このような表現になるのかな、と。
* みか * 2016/11/10 2:24 PM
もう一つ、思い出したのですけど。

私、ダンスの世界の中で、今興味を持っているのが、アメリカのシカゴで生まれた、Hiplet(ヒップレエ)という、バレエとヒップホップを合わせた踊りなんですね。
創始者は、Homer Hans Bryantという、アフリカ系の、60代のダンス教師です。

このHiplet、テクニックの難易度は、ものすごく高く、トウシューズで立ったままジャンプしたり、スクワットしたりするんです。
踊り手は、まだ若い子たちが主で、作品としてはそう洗練度の高いものはまだありませんが、創始者のBryantさんの考え方が、魅力的なのですね。

というのは。
アフリカ系の子たちは、白人に混じってバレエのコンテストとかに出ても、どうしたって、自分は浮いている、と感じ、気後れしてしまう。
ピンクのタイツを穿かせられたりして、プライドが持ちにくい。

そこで、Bryantさんは、Chicago Multicultural Dance Centerという学校を作り、中でもアフリカ系の子たちが誇りを持てて、学ぶことからドロップアウトしなくて済む教育環境を作ろう、としたわけです。

まず、バレエの動きに、ヒップホップダンスの要素を加え、習っている子たちに、『これは自分たちの踊りだ』という誇りを持たせる。
タイツとトウシューズは、15種類の肌色のものを用意し、自分の肌色に合ったものを選ばせ、自分の肌色に自信を持たせる。

作品も、マイケル・ジャクソンへのトリビュートなど、その子たちが共感できるテーマで作る。

そして、踊ることは、頭を目一杯使う創造活動であり、人生には思うようにならないことが少しはつきまとうものであり、踊るには鍛錬と規律が大事である、と繰り返し教えるのです。

ただ踊りを教える、というだけでなく、ストリートで殺し合ったりするような環境から、子供たちを守る、ということや、一人ひとりに向き合って、その子の問題を一緒に考えてやり、貧しい子にも、障害のある子にも、表現する喜びと努力する目標を与える、というのも、目的の一つなわけです。

……というようなことを、彼は、今、全力を傾けてやっていて、YouTubeやInstagramで、たくさん紹介されています。

実は、28歳でなくなった彼の娘さんは、脳性麻痺だったのだけど、レッスン場につれてくると、嬉しそうにかすかに動く指先を動かしていた、と。
そこには内なる踊り手がいたし、踊ることは、母親の心臓の音に合わせて胎児が動くような、生きていることの表現である、と彼は言ってます。

これ、ハイカルチャーであるロイヤルバレエとは、何の関係もない話なんですけど、踊ることは、自分の現実の人生を見つめたり表現するための手段になるんだ、という意味では、関連しているかな、と思ったので、書いてみました。
* みか * 2016/11/10 3:33 PM
はむははさん、「わたしはアナスタシア」という人が30人ほど出たそうで。詐欺師もいただろうけど、妄想であっちの世界に往っちゃった人もいそう。
普通のバレエでは見られない動きがすごかったです。

もちろん褒めた審査員もいるんですが、重鎮はなかなか厳しい。パッショネートなロシアの踊りからすると、頭で考えているように見えるかなー(というわたしの理解は自信ないけど)。
* Loki * 2016/11/10 9:54 PM
ええと、ちょっと間違いました。
Bryantさんは、障害者と踊るダンスの振り付けとかもしていますけど、この学校で教えているのは、障害者じゃなくて、主に地元の貧しい子、しかも主として有色人種の子たちです。

ところで、Hipletのクラスは金曜の夜だけのお楽しみクラスみたいなもので、月曜から金曜までは、クラシックバレエのレッスンをしてるそうです。
Hipletができる子は、幼い頃からクラシックバレエをしてきている子のうち、足首がしっかりしていて能力が高い子だけ。

この学校では、家庭的な雰囲気の中で、習いに来ている貧しい子たちが普通の学校を止めたりしないように励まし、また、ダンスを続けられるように、独自の基金を持って、奨学金を出しているそうです。

このダンスの鍛錬のおかげで、この子たちは、勉強も頑張り、一族の中で初めて大学に進むようになった子も多いそうで、卒業生の中には、プロのダンサーになった子もいれば、医師や弁護士になった子もいるそうです。

ちなみに、Bryantさんは、かつては、ハーレム・ダンス・シアターのソリストだった人です。
ダンス界の人種差別も、身をもって体験してきた人です。

なんか、ネタ違いなことを長々と書いてしまいましたけど、Bryantさんは、今、私が、そのコトバを聞くたびに感動させられてしまう、熱い教育者なので、つい、どこかに書きたくなって、ここに書かせていただいてしまいました。
お許し下さいね。
* みか * 2016/11/10 9:56 PM
Bさん、美しい姿勢は心身の基本ですね。鍛えましょう。

あえて醜い動きをするのは難しいだろうと思いました。
重苦しくても、人間の奥底を垣間見るような芸術は、やはりカタルシスがあるかと思います。
でもわざわざバレエでこんなの見たくない、という人もいるでしょうけど。
* Loki * 2016/11/10 9:58 PM
みかさん、わたしは日本の舞踏をあまり見ていないのでわからないのですが、肉体を前面に出す感じではないようですね。
ギリシア彫刻と仏像の違いかな。
下着が基本、というのは面白いですね。

バレエ界にはブラックの人は少数派ですね。状況は少しずつ変わってはいますが。
踊りや歌って人類にとって言語の前にあったものじゃないですか?根源的なものなので、それを表現法にするのはとても良いと思う。
Bryantさんの取り組みはすばらしいですね。そういう場所から多くの子供が羽ばたいてほしいものです。
アメリカこれからどうなるのかな〜。
* Loki * 2016/11/10 10:11 PM
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